「劒岳 点の記」遂に日本地図に空欄がなくなる

ノブは山岳会に絶対負けたくない!!という焦りが出たことから、無理をしてしまいました。焦るなと言ってもそれは難しいことでしょう。焦りは事故へ繋がります。山での事故は命の危険にさらされます。測量をするために剣岳の登頂を目指す。でも山岳会は違う初登攀目指して最新の登山道具を持ってのチャレンジ。それでも危険や同じ山に挑戦するということ、それは焦るなと言うほうが無理な話です。

「劒岳 点の記」:あらすじ ~ついに日本地図の完成

ノブは幸助から預かったものを携えて再び山を登り始めますが、ノブをあそこまで焦らせた山岳会のほうはどうだったのかというと、山岳会の方でも悩まされていました。それは、山岳会のメンバー吉田清三郎が、かつて怪我をしたことがある膝の古傷に悩まされていたのです。

ノブは宇治への預かりものを持って山を登ります。人夫たちは宇治の妻からの差し入れのふかした芋をもらい、喜んでほおばり始めました。そしてノブは柴崎たちに、妻が女の子を出産したと知らせてきたことを教えます。そしてテントの中にいた宇治に幸助から預かった手紙を渡して、自分も同じように父親になりました。と報告してお辞儀をしてテントから出て行きました。

あらすじ:7月

7月2日のことです。測量部の一行と山岳会のメンバーたちが奥大日岳で出会います。そして山岳会のリーダーでもある小島は柴崎に対して「やはり自分たちのしている山を登るという行為は、遊びだったのかもしれない」と今まで挑戦的な態度を測量部に示していましたが、測量部の地図をつくるために真摯に作業をしている姿を見て挑戦的な態度から態度を改めていいました。

「遊びだったかもしれない」と話た小島に対して、柴崎は「何で山に登るんですか?!」と問いかけます。

柴崎の先輩でもある東京の古田からの手紙があります。古田からの手紙には、柴崎からの手紙に返事をするかたちでの手紙でした。「地図をつくるということは、自分自身を知るということではないのか。そしてそれは国家のためではなく、地図はそこにいる人のために必要なものではないのか」ということが古田から柴崎への回答でした。

そしてその夜のこと、テントの中で宇治が息子の幸助からの手紙を読んで涙をしていました。幸助から父親への手紙は、父親を励ます内容の手紙でした。幸助は自分が幼い頃に、父に連れられて初めて山についていった時のことが書かれていました。そして父親に頑張れ・・と励ましてくれる手紙を読み、宇治の目から涙が溢れていました。

翌朝、宇治は息子から励まされたことを柴崎に伝えます。柴崎は剣岳の雪渓を見つめていました。宇治は柴崎が行者が言った言葉「雪を背負って登り、雪を背負って降りよ」この言葉の意味することは・・と思案していることに気づき、宇治は言います。「山に危険は付きものです。だから無理をしても行きましょう!」と柴崎を励まします。そして今回の登山にも、人夫の金作と鶴次郎は残していくことになりました。

山岳部の小島と測量部は出会います。山岳会の小島は、測量部が登るのは三ノ澤から登るんだろうと推測します。

山岳部の五人柴崎・宇治・ノブ・タケキチそして久右衛門は、互いの体をロープで結んで雪渓を登り始めます。そして五人が遂に剣岳山頂に近づいた時に、先頭を登っていた宇治は自分のロープを外します。そして「自分は案内人です。案内人なので、ここからは皆さんが先に登って下さい」と言いました。宇治の言葉を聞いた柴崎は「われわれは、すでにもう立派な仲間です。あなたがいなければ私たちはここまで登ることは出来なかった。最後まで案内をお願いします。」と宇治を説得するのでした。柴崎の言葉を聞いて、宇治は再び自分の身体にロープを結びつけて、一行は剣岳の山頂を目指します。

明治40年(1907年)7月13日に遂に測量部の一行は、剣岳山頂に到達します。そして到着するとすぐに、四等三角点を作ります。そんな中で宇治は、剣岳のすぐ近くの岩陰に落ちていた不思議なものを発見していました。そして柴崎たちも近づいてもちろん驚きます。落ちていた不思議なものは、行者が使っている錫杖の金具だったのです!つまりそれが意味していることは、剣岳は未踏の地ではなかったということだからです。

柴崎からの至急の電報を受け取った陸軍参謀本部では、矢口中佐が大激怒していました。そして大久保少将も玉井工兵大尉に「剣岳のこと自体を、なかったことにならないかどうか」と打ち明けていました。陸軍からすると、未踏の地を陸軍が初登攀することに意味があって、すで未踏の地だったらそれは何の役にはならないからでした。

陸軍参謀本部からの通達を受け取った柴崎やタケキチは、その手紙を雨の降る中捨てますす。そして測量部と山岳会どちらが先に剣岳を初登攀するのか?!と報じていた富山日報のほうでも、測量部の登頂が初登頂ではなく、四等三角点ではそれはなんの記録にも残らないと報じられていました。

柴崎の妻の葉津よは、その報道を東京で呼んでいます。そしてその新聞をみて「どんな事があっても、葉津よはあなたの味方です」と呟いて夫の故郷山形の民謡を歌いだすのでした。そして柴崎の元に、ふたたび富山日報牛山記者がやってます。そして柴崎に「あの行者が亡くなった」ということを知らせるのでした。そして行者からの最期のことを聞かされます。「あのものたちは、剣岳に登ったのか。」と牛山記者は尋ねられたそうです。

あらすじ:8月

柴崎引き入る測量隊の一行は、8月3日に別の山から剣岳の三角測量をしていました。そして柴崎は測量機を覗いていますが、剣岳の山頂に日本山岳会メンバーたちが到着した姿を見つけます。山岳会のメンバー岡野金次郎が、手旗信号を使って測量隊に向かってメッセージを送ってきます。

「剣岳の初登頂おめでとうございます。この歴史的な登頂ということは、日本の登山史に後世にまで語り継がれることでしょう。柴崎芳太郎、生田信、宇治長次郎、木山竹吉、宮本金作、岩本鶴次郎、山口久右衛門、剣岳を開山したのはあなた方です。ただ地図を作るということのために、自らの仕事をされたことを心より尊敬します。」

岡野からの手信号を双眼鏡で確認したノブは、今度は自分が山岳会に向かって手旗信号を送り始めました。「剣岳登頂おめでとうございます。小島烏水と山岳会の皆さんの栄誉をここに称えます。あなたがたは私たちの、かけがえのない仲間です」

遂に唯一空白だった剣岳の測量も終わり、日本地図が完成しました。そして日本地図を作ったこと彼らをずっと支えていた家族たちの記録でもあります。