「劒岳 点の記」剣岳への挑戦

いよいよ「剣岳」への挑戦が始まります。季節は古田のアドバイスの通り早春の4月です。立山連峰の測量をする場所は20ヶ所以上もの測量ポイントがありあす。これだけのポイントを短い夏の間に測量することは難しいので、残雪が残っていても冬型の気候ではない4月が入山のチャンスです。もちろん立山連峰はとても高いので、春から夏の季節であってもかなりの残雪があります。「剣岳」に登頂することが目的ではなく、測量をして日本地図の白紙部分を埋めるために彼らの挑戦が始まりました。

「劒岳 点の記」:あらすじ~剣岳の挑戦が始まる

地図を作るという目的のために「剣岳」を目指す測量部と、まだ未踏の山を初登頂することを目的としている山岳会。「剣岳」という山を目指して、男たちが果敢にも挑んでいきます。立山信仰では「剣岳登頂を禁忌」としているため、本来ならば芦峅寺の山男たちが案内人を務めるべきですが、それは立山信仰ではできないことです。宇治の息子が激怒するのも仕方のないことでしょう。

あらすじ:4月24日

測量部はいよいよ鷲岳から三角点の選点するための作業を開始します。ところが隊員のノブは、若さがそうさせるのでしょう。測量をするよりも、一刻も早く「剣岳」に登らないと「剣岳」の登頂を目指している民間の山岳会に自分たちが遅れをとってしまうと苛ついていました。そんな若いノブを、ベテランのタチキチと柴崎が黙らせます。

テントの外では人夫たちが焚き火にあたっていますが、彼らは山岳会の方が測量部よりも日当が20銭も高い。と愚痴っていました。その人夫たちの愚痴をテントの中で柴崎は耳にします。そして思わず故郷の山形民謡を歌いだしました。柴崎の歌う山形民謡を聞いた人夫たちは、歌を聞いて黙るしかありませんでした。

そして2日目になりました。三角地点を選点しようとした測量隊は作業をしていますが、今日の山の天気は厚い雲に阻まれているため目標が見えます。結局この日は、選点作業を諦めて一行は下山する事にしました。そうです。測量はとにかく忍耐・忍耐・忍耐です。

測量隊はテントを番場島平に移動しました。そこで人夫の中で一番のお年寄りの宮本金作と山口久右衛門を番場島平に残して、その日の作業をするために出発します。ところがそこで雪崩に巻き込まれてしまいました。雪崩に巻き込まれて、タキチキと柴崎はすぐに雪の中をかき出して雪から這い出しましたが、ノブの姿が見当たりません。手旗が落ちていた近くの雪を必死に掘って、雪の中に埋まっていたノブを救出しました。雪の中に埋まっていたノブですが、身体に異常はありませんでした。雪崩という事態があって疲労困憊しているノブがテントに戻りましたが、テントではのんきに談笑している人夫の姿を見て彼らの態度をゆるせん。と睨みつけています。

柴崎は一足先に、山のベテランのタケキチと人夫たちを自分より先に下山させて、もっと必要な道具をいろいろと取り揃えて準備をするように頼みます。その頃、日本山岳会のメンバー達も「剣岳」登頂を目指して、富山駅に到着していました。

日本山岳会のメンバーが富山駅に到着するのを待ち受けていた富山日報の牛山記者は、山岳会のメンバーに「剣岳へ先に登頂するのは、測量部の方が勝つと、地元ではもっぱら噂してますよ」と山岳会のメンバーを煽るのでした。

柴崎、宇治そしてノブの3人は、五色ヶ原で吹雪にあってしまいました。すぐにテントへ引き返そうとしましたが、自分たちが登ってきた足跡を途中で見失ってしまいます。血の気の多いノブは、案内人の宇治の責任だ!!と責めます。ひとりこの列から宇治は離れると、じっーーと耳を澄まします。そして雷鳥の鳴き声を聞いて、「こっちだ!」と柴崎とノブに声を掛けるのでした。

その頃、人夫とタケキチたちは無事に立山温泉に到着していました。柴崎たち3人は無事にテントに戻ることができました。ノブは先ほど宇治を責めたことを謝ります。テントの外の嵐は、先ほどよりもさらに激しくなっています。風もかなり強く、テントが飛ばされそうになったので3人はテントの支柱を外して、テントに包まるようにしてその場に横たわることしか出来ませんでした。

人夫たちは荒れ狂う天候の異変に気づき、立山温泉から再びテント場まで戻ってきました。そしてテントに包まるようにして横たわっていた状態の、まさに遭難寸前だった3名を無事救出します。