「劒岳 点の記」あらすじ~測量部の柴崎が受けた指令~

「剣岳」の下見は柴崎にとって何を与えたのでしょう。ただ美しい姿ではなく厳しい自然環境にあること、そして「剣岳」に登るために重く大きな測量機材を背負っての登山の難しさ。そして行者の言った「雪を背負って登り、雪を背負って降りよ。」という言葉。あの言葉はいったい何を意味しているのでしょう。山岳信仰の信仰の対象でもある「剣岳」、そして「死の山」として恐れられている山。「剣岳」の測量することの難しさを下見をしたことで、改めてその大変さを感じたことでしょう。

「劒岳 点の記」:あらすじ~指令を受ける

行者を背負って吹雪の中を柴崎が下山するシーンは、「劒岳 点の記」作品の中でもひとつの見所になっています。柴崎を演じた浅野忠信は、柴崎と同じように「剣岳」を自分の足で登り登りながら、柴崎の気持ちを理解していったと語っています。軍の上層部から命令されて「剣岳」に挑んだ柴崎と、撮影するために「剣岳」に挑んだ。境遇は同じようなものです。体感温度マイナス40度の世界での奮闘ぶりの続きです。

あらすじ:東京に戻る

柴崎は駅で宇治と別れて東京へと戻ります。柴崎から下見の報告を聞いた矢口中佐は、柴崎が出した結論に激怒します。柴崎がこの下見で出した結論は登坂不可能という結論だったからです。矢口中佐は「古田は以前に第二三角点を設置しているではないのか?!!」かつて第ニ三角点を設置することができたのに、出来ないのはおかしいのではないか!というのが矢口中佐の意見です。

大久保少将も矢口中佐も、とても不機嫌です。その理由は「剣岳」のある富山の地元新聞紙・富山日報が、日本山岳会と陸地測量部との「剣岳登頂合戦」だとユニークに面白がって報じていたからです。そして矢口中佐は「陸軍のメンツにかけて、剣岳になにがなんでも登頂することは、もはや後にひくことはできない!!」と柴崎にゲキを飛ばします。

矢口中佐にもはや登るしかない。と言われた後に、古田と図書館で柴田は再会します。そして古田から「剣岳」へ登頂するためのアドバイスをもらいました。それは来年4月になったら、早めに現地入りをして、そしてよく剣岳を観察するという助言でした。

柴崎は伸び放題になっているヒゲを剃って自宅へ戻ります。妻の葉津よに、山で摘んできた「むしかり」の赤い実を出して宇治の奥さんからもらったと見せるのでした。柴崎が妻と久しぶりの会話を楽しんでいる頃、宇治の方はというと早くも来年の登坂のための準備に余念なく進めているのでした。

あらすじ:1907年(明治40年)

陸軍陸地測量部で、柴崎は一緒へ「剣岳」に向かう隊員と会っていました。隊員にはベテランのタチキチこと木山竹吉と、ノブこと若い生田信です。ノブは結婚していて、妻は妊娠中で8ヶ月の身体ということ柴崎に教えました。

柴崎は自宅で最後の準備に追われていますが、夫が忙しく準備をしているところに妻の葉津よが夫のリュックの中に、そっと御守りを忍ばせて夫の無事を祈っています。

測量部の柴崎をはじめとした隊員たちの一行は、いよいよ「剣岳」登頂を目指し富山に到着します。測量部の隊員たちは、さっそく営林署(現:林野庁)へ挨拶に行きますが営林署の担当者は、見てわかるように迷惑顔でした。柴崎が営林署を出ると、柴崎に向かって寄ってきたのは地元の新聞社富山日報の牛山明という記者でした。柴崎はそんな記者に見向きもせずに、記者の質問にも無言を通します。

それから後に、柴崎をはじめとした測量部の隊員たちは、宇治が大山村で集めた人足たちと会います。そして彼らにこれから27ヶ所にやぐらを建てるという仕事内容を伝えると、それを聞いた宮本金作、岩本鶴次郎、山口久右衛門の人夫たちは「それは日当60銭では割に合わない」と愚痴をこぼしはじめました。そんな中で、タチキチは「山はこれに限る!」と言って注文していた編み笠をかぶりました。

柴崎は測量部のタチキチや人夫たちと別れて、別行動するつもりでしたがそんな柴崎と宇治の前にやってきたのは、前に下見のために登った山宝泉岳ですれ違ったことがある若い案内人でした。その若い案内人はとても怒っています。若い案内人は宇治の息子の幸助といって、宇治の息子が怒っているのは父親が地元の人たちの反対を押し切って父が剣岳に登る手伝いを買って出たことに対して、ひじょうに怒っているのでした。ところが、宇治は自分に食って掛かってくる息子を殴りつけて、柴崎にこの無礼なざまを詫びるのでした。